〜神 奈 川 編〜
10月14日
とうとう来た!17県目にして第1チェックポイント、神奈川県!武家政権発祥の地、神奈川県!半年も
かかったけど、やっと来れた!しかしうかれすぎると事故ったりいろいろ油断に繋がってしまう。焦るな俺。
そんなはやる気持ちを抑えすぎたのか、おもくそ寝坊のスタートである。10時過ぎに起きて朝風呂に入る
と、もう昼だ。今日はドコまで行けるやら。
大月市から笹子峠を越えて、神奈川県に突入する。地図上ではたいした距離じゃないけど、けっこう遠い
なー。山梨県が関東地方に入れてもらえない理由がわかる気がする。昔の人の国境の区切り方は、
けっこう納得がいく。ココ笹子峠もそうだし、新潟富山間の親不知や青森秋田間の白神山地などは、ここの
むこうとこっちで同じ国とは考えられなかったんだろう。それくらい険しい自然で区切られてるもんだ。
しかしそれがわかった事で1つ問題が出た。神奈川県の宿泊スポットが無い事だ。神奈川県には道の駅が
ほとんど無いのだ。東京都を回ってる時に埼玉県の道の駅を使ってたのと同じく、神奈川県は山梨県の
道の駅を使う予定だった。しかしちょっと通えるような距離じゃない。やっぱり県内の道の駅を使うしか
ないか。じゃあ近くの道の駅はどこかと言うと・・・
(サイトの地図とすごく違う・・・ _| ̄|○)
<(T◇T)> 遠っ!!
うーん・・・神奈川東部が異常にやりにくいなぁ・・・。神奈川県内の道の駅は西の端っこにしかないので
言うに及ばずだ。東部から1番近いのは埼玉県川口だけど、東京を飛び越すくらいなら山梨のほうがいいし、
使いやすさで言えば千葉県鋸南だけどアクアラインか久里浜フェリーを使わざるを得ない。これは道の駅は
諦めて、職質覚悟で街場のパーキングに停めるか、その辺の山か海岸だろうなー。でも神奈川の海岸って、
なんか怖いし。どこに寝ようかな・・・コマター。
とにかく神奈川では拠点を決めず、随時泊まれる所を探しながら臨機応変に行くしかない。俺の運の良さ
ならなんとかなるだろうと思いたい。
10月14日(2)
車泊優良スポットを探しながら東へ走る。津久井町に良さげなチェーンベースがあったが、津久井町の
時点で拠点になりえないくらい遠い。そのまま迷走し、相模原市へ突入。この辺から観光開始だ。
相模原市。首都圏に近づいてきているのでかなり大きな街だ。見た目は甲府市より都会だ。しかし
首都圏と同様、歴史関係は街に埋もれてしまっているのか、探してみたが特に見所は無い。歴史で
無い話で言うと、この相模原市は日本国に属していながらサガミハラ共和国という裏の顔を持つ2重
国家で、大統領という役職まで存在する。しかもなんと銀河連邦の加盟国である。地球連邦では
なく銀河連邦。ガンダムも自由惑星同盟も敵じゃない。アンドロメダ星雲とかイスカンダル星雲とかまで
込みの、すごい広い範囲だ。しかしこれは裏の国家らしく、その関係での観光地は無かった。ちなみに
日本には他にもサンリクオオフナト共和国、ノシロ共和国、ウスダ共和国、ウチノウラ共和国が銀河連邦に
加盟しているらしい。ラインナップを見る限りじゃ地球征服とかは考えてなさそうな貧弱さだ。その点は安心
していいだろう。
続いて厚木市へ行くが、ココもスカ。厚木市の観光パンフレットに載っている見所は、丹沢高原だ。丹沢
高原は静岡県国境付近の高原で、厚木市でもない。えらい遠くを紹介してる所から推測すると、神奈川県
内陸部には見所がほとんど無いんだろう。まぁ鎌倉と横浜がある神奈川県なのでアテが無いワケじゃない
が、それでもある程度は拾っておきたい。見境無く走るより、県庁で県内全域のパンフレットを入手して
目星を付けたほうがいいな。先に県庁を攻略しよう。今日はもう4時過ぎなので、明日は県庁だ。
さてどこで寝よう。これといった車泊スポットが見つからない。延々走って迷い込んだ、ドコモですら電波の
届かないどこかの山の中。ここでいいか。熊とか出ないよな・・・。
10月15日
県庁だから、当然横浜市だ。さっそく向かう。
ぎゃーー 渋滞だーー
進まなーい! すごい渋滞だー! いや〜ん!
そうだった。首都圏なんだよなぁ。しばらく地方周りしてたんで忘れてたよ、この渋滞の感覚。東京に進出
するのをあんなに躊躇ってたのに、今日はまったくノーガードで都心部に突っ込んでしまった。うわー
曲がれないよー。
なぜ俺がこんなに渋滞を嫌うのかというと、車線変更が出来ないからだ。つーのは、北海道とは車間が
完全に違うからだ。都心部は車と車の間隔が狭い。北海道のイメージで「これくらい間隔が空いたら割り
込もう」と待っていても、間隔が滅多に空かないのだ。その空間意識の差で運転しずらいのである。まぁ
首都圏の人はけっこう譲ってくれるのでまだいいが、譲り合いの精神が無い地方都市ではすごく困る。
そういう街で、案内看板から目標道路までが10mも無い時に、車線を振り変えるのは至難の技だ。でも
関西に行けば行くほど道が煩雑になるとは思ってるので、まだ甘い考えなのかもしれない。幸い神奈川県
は道路案内の仕方や右折レーンの切り方がかなりうまい。この辺は公安委員会や道路管理者の癖なんだ
ろうが、とことんダメな街とかもあるが、神奈川県域は混雑具合に比べてかなり走りやすい街ではある。
そのおかげでまだ助かる。
横浜市ー!日本屈指の大都会だ。来た事は無いが、ランドマークタワーにベイブリッジ、中華街や外人
墓地など聞いた事ある観光地はたくさんだ。しかもベンリな事に、これらの観光地はほとんど県庁周辺に
凝縮している。東京のようにあちこち分散してないので、県庁近くに車を停めてしまえば歩いてほぼ全部
回れてしまうのだ。広い割に観光客に優しい街だ。
山下公園の駐車場に車を停める。有料以外の駐車場はまず無い。都会なだけにこれは我慢するしかない。
まずは県庁に行き、情報収集。そこから中華街に向かって歩けばどこか観光スポットにぶつかる。とりあえず
歴史スポットである開国資料館に寄ってみる。
横浜の街が発展し始めたのは150年ほど前。つまり明治に開国してから出来た街だ。開国に伴い外人
居留地に指定されたのが横浜エリアで、寒村から一気に洋風建築が立ち並ぶモダンな街に発展した。
この開国資料館は元の英国領事館で、開国の経緯などを展示している。博物館としては小さいが、開国
1点に絞った内容なのでそこそこ厚みのある話が聞ける。黒船が来て日本中びっくりしたという話があるが、
実は幕府には事前に来航予告がしてあったそうだ。そりゃ庶民はびっくりしたろうけど。
資料館そのものが展示物でもあるが、中は1階だけ入れるがほとんど入れないので、外郭を見るだけの
観光施設だ。横浜の各観光施設のど真ん中に位置するので、ついで程度に見ていい場所だろう。
続いて歴史博物館。ここは県立なので神奈川全域を網羅しているが、やっぱり横浜市の歴史が多い。
中世よりも開国あたりがメインだ。博物館なだけにいろいろ勉強。開国の港なだけあり、日本初の多い
事多い事。日本初のビール、日本初のアイスクリーム、牛鍋、新聞、ガス灯、鉄道、競馬、etc。郷土料理
じゃ無いが、郷土料理が無かったら何でも代用が利く。ラクな県だ。
左:開国資料館 中:歴史博物館 右:開国記念館(別名クイーンの塔)。 中は近代的に改装している。
市内をぶらりへと歩く。県庁周辺なので基本的には高層ビル立ち並ぶオフィス街なんだが、高層ビルの
谷間に観光施設がまばらに混じっている。横浜の街は元々外国人居留地なので、洋式建築が立ち並ぶ
モダンな街だったのだが、昔の地震で洋式建築はほとんど全壊してしまい、現存しているのは県庁、開国
資料館、開国記念館、赤レンガ倉庫の4つのみだ。そう言うと少なく思えるが、それぞれがどっしり存在感を
出して居座っているので、意外と目に付く。不思議な感覚の街だ。
輸入雑貨屋街を抜けて、山下公園へと出る。ここは元々外国人のテニスコートだった場所で、もちろん
日本のテニス発祥地だ。横浜港に沿って細長い四角形に伸びる、街場の公園だ。横浜港は通称「大桟橋」
という国際フェリーターミナルを埋立地で囲むエリアで、玄関に当たる所にベイブリッジがある。フェリー
ターミナルは今夜の寝床として期待していたんだが、国際港なので入場規制とかあやしげな取引とかが
行われてそうで、たぶん泊まるのは無理だ。残念。日本丸と氷川丸という客船が観光開放されていて、
入れるようになっている。入ってこなかったけど。
山下公園はラブ時空っぽいイメージがあったけど、それほどでも。普通に観光客のおじちゃんおばちゃん、
あと親子の散歩などで賑わっていた。まぁ金曜日の昼だし。ベイブリッジは山下公園からだと何か障害物
があって、よく見えない。見るならレインボーブリッジのほうが良さそうだ。
山下公園。 横浜の海は紫でキレイじゃない。なんで紫?
近くには他にも港の見える公園、外人墓地などがあるが、俺的に引っかからなかったのでパス。
喫茶店でパンフレットに目を通しながら、夜まで待機する。
10月15日(2)
中華街──(゜∀゜)──!!
そう。横浜と言えば中華街。こちとら食文化研究家のはしくれ。じっちゃんの名にかけてでも調査しねば
なるまい。さすが有名スポットなだけあって、案内所が付いている。そこでまず情報収集しよう。ガイドの
お姉さんはモチロン・・・
チャイナ服──(゜∀゜)──!!
ソウデスヨコレコソチュウカガイデスヨ!イヤーワカッテル!!
ああ案内所のお姉さんステキです。ホンマモンのチャイナっ娘ですね。しかもかなり美女じゃないですか。
素で「日本国籍、いらない?」とプロポーズしてしまいそうになったよお姉さん。ああもう最近いい
なぁ。山梨でメイドさんで横浜でチャイナドレスで。この調子だと静岡はナースで愛知はスッチーで岐阜は
レースクイーンですね。どうなっちゃうんだろう俺の骨。悪魔将軍並みに硬くなってしまうんじゃないか?
ともかくキレイなお姉さんにお話を聞く。中華料理と言えば大人数で大皿から取り合って食うイメージが
あるが、孤独な状況的にそうもいかない俺。
お姉さん 「どんなお店がいいですか?」
俺 「1人で入っても淋しくないお店を紹介してください」
この瞬間ちょっとどころかかなり自分が切なかったが、お姉さんは親切におしゃべりなご主人のお店を
紹介してくれた。「じゃあご一緒しますよ」なんて答えが返ってこないかなーという淡い期待も露と消える。
ついでにお姉さんに写真撮らせてくれとお願いしてお食事にお誘いしたんだけど、店内撮影禁止と営業中で
丁寧に断られますた。けっこう粘ったんだけどダメですた_| ̄|○。今まで何度か使ってきた_| ̄|○だが、
この時ばかりは本気で_| ̄|○だ。
そうこうしてメシ屋を探す。最初のイメージでは中華街と言えば1も2もなく崎陽軒(きようけん)のシュウマイ
だと思っていたんだが、調べてみると崎陽軒は中華街ではなく横浜駅前にある。かなり間違ったイメージ
だった。まぁそれでガイドに行く事になったワケで、むしろ結果オーライなワケなんだけど。ともあれお姉さんに
紹介してもらった中華料理店に行く。
中華料理とひと言で言っても、中国は広い。中華料理の中にもジャンルがあり、北京料理、上海料理、
広東料理、四川料理などがある。俺の入ったお店は広東料理のお店だった。ご主人は在日3世世代の
方で、中国語、喋れるんですか?って聞きたくなるほど日本語がペラペラだ。日本の歴史も詳しくて、いろ
いろ語ってくれた。まさか中国の方に戊辰戦争を語られるとは思わなかった。でも助かる。俺は中華料理は
詳しくないので、ご主人のオススメに任せる。広東料理で1番有名な豚の角煮と他何点かをおいしく
いただいてきました。ちなみに四川料理は麻婆豆腐、北京料理は北京ダック。広東料理は基本的に素材の
味を大事にしつつ香料を利かせるタイプで、和食と似ているという。辛いのがダメな俺向けだ。あーやっぱり
違うねー。日本的中華料理とは香料の濃さが違う。その辺の中華チェーン店とかで食う味とはぜんっぜん
別物だわ。(゚д゚)ウマー
10月15日(3)
それからご主人に聞いて、中華街の中にある関帝廟という建物に行く。三国志に出てくる関羽という
武将を祭った廟堂で、平たく言えば神社だ。中華街=食う所と思っていたので夜まで待ってたが、中華街を
言い変えれば世界最大級のチャイナタウンだ。別に昼来ても良かったワケだ。と言っても歩いて
みれば食堂と食材屋、あと夜のお店が多いけど。さすが金曜日の夜だけに繁華しまくっている。
なぜ横浜に中華街が出来たのかと言うと、やっぱり外国人居留地のせいだ。当時の西洋船は直接日本に
来るワケじゃなく、上海で一旦補給してから来る。ペリー来航の10年前にアヘン戦争があり、当時の中国は
既にだいぶ西洋にやっつけられていたからだ。日本に駐留した外国人は中国に駐留していたのがそのまま
移ってきた人たちで、中国人の通訳やコックさんを日本に連れてきた。そういう人たちの末裔が横浜中華街
を作ってきたワケだ。ちなみに開港した長崎や神戸も中華街があるが、同じ理由だ。新潟と函館も開港してる
が、そこは西洋人に人気が無かったらしい。
そうしているうちに関帝廟に到着。といってもすぐだけど。
い、意外・・・。日光東照宮クラスの派手派手さ・・・いや、東照宮より勝ってる。中国建築の粋を
惜しみなくつぎ込んだような感じ。お堂っていうより宮殿だ。廟堂だからタタミ2畳くらいの祠って勝手に
思ってたけど、そんなスケールじゃないな。さすがは関羽様。
ちなみに関羽という人は華僑の守護神的な存在で、武の神、商売の神だ。武はわかるがなぜ商売
なのかと思っていたら、初めてソロバンを使ったのが関羽だという伝説があるそうだ。そこから商売に
繋がったそうだ。だったらもっと有名になってそうなエピソードなのでマユツバっぽいが、まぁ中国神話は
マユツバでも信じたモノ勝ちって傾向があるので、とやかく言うまい。あと宗教とは関係ない民族的信仰
だったので、お堂を建てる許可とかがいらないので広まりやすかったというのも一因らしい。
殺人で逃亡して塾の先生になって将軍になって皇帝の弟になって神様に。俺的には出世の神様でも
いいと思う。
10月15日(4)
さぁお腹も膨れたし。ベイブリッジの夜景を見て、横浜ベイエリアは終了だ。横浜港の夜景スポットとしては、
マリンタワーとランドマークタワーがある。さてどっちがいいか。やや考えて、マリンタワーにした。ランドマーク
タワーのほうがデカいが、ランドマークタワーを視野に入れたほうがキレイっぽいだろう。つーワケでマリン
タワーに行く。これも中華街から歩いて10分程度。ホント横浜の観光施設は近くに凝縮してるなー。
マリンタワーから見る夜景。
・・・ ・・・ ・・・。
しまった!この塔、低すぎる!
いや100mはあるし、低すぎるって事もないんだけど。なんだか夜景がフレームに入りきらない。
しかもあまりいい位置にないようで、氷川丸(写真手前の船)や大桟橋(〃中央やや右上)とベイブリッジを
一緒に捉えられない。つーか上のフレームじゃランドマークタワーも入ってない。見る分にはいいが、
撮影スポットとして、どうもダメだ。どう頑張ってこんな感じだ。
しかもよく見たら、ベイブリッジってライトアップしてない。ベイブリッジはあまり夜景スポットじゃ
ないのか。俺の旅じゃ数少ない夜景写真なだけに、ちょこっと期待してたんだけど。うわー失敗。でも
ランドマークタワーにしとけばまだマシだったかなー。
ともかく。期待してたほどステキじゃなかったのは残念だったが、そろそろ横浜ベイエリアを後にしよう。
実は寝る所は中華料理店のご主人が「うちの駐車場使っていいよ」と言ってくれたので、ある事はある。
ご主人の申し出はとても嬉しいのだが、ただ歓楽街のど真ん中で車泊するのは酔っ払いがやや怖い。
ましてや中国人のテリトリーである中華街なので、不審に思った中国人に通報される可能性もある。
真似する人が出てきても悪いし。なのでできれば自力で見つけられるに越した事は無い。どうしても
見つからなかったらお世話になるとして、とりあえず移動しよう。
駐車場を出・・・
3500円ーーー!!! <(T◇T)> 中華料理代より高いー!
_| ̄|○ そ、そりゃそうか・・・1日いっぱい停めてたモンな・・・。イタタタタ。東京と横浜がちょっと違う
のは、観光地の密集の仕方だ。東京では観光地はまばらにあるので、ちょっとハズレまで行けば料金の
上限付きの駐車場がけっこうあった。それを見つけられなかったのが失敗だ。今後は・・・もっと計画的に
動こう・・・。
それから車泊スポットを探して彷徨う。どこに行っても都会で、優良スポットが無い。24h営業のボウリング
場でも良かったけど、それも見つからず。延々走って横須賀市の大楠山まで至り、やっと寝れた。隣の
横須賀市といっても三浦半島の真ん中へんくらいまで来てしまったぞ。すごい走ったなー。
10月16日
昨日は雲1点も無い快晴だったが、今日は晴れ間1点も無い曇り。天気予報じゃ週末晴れ続けると言って
たのにアテが外れた。雨じゃないだけまだいいけど、最近の天気予報はどうも頼りないなぁ。
横浜市の他の観光スポットには、横浜駅周辺、新横浜駅周辺、金沢エリアがあり、駅関係ではラーメン
博物館やカレーミュージアムといったそこそこ見れそうなモノもあるが、歴史にあまり関係ないのでスルー。
中心街からやや外れた所にある金沢八景を目指す。
金沢八景。出自はよくわからないが、聞いた事はある。たぶん景色だろう。その辺のコンビニで道を聞いて、
行ってみた。
「金沢八景駅」
うん。ここか。景色じゃなくて地名だったのか。いやそんなはずは無いだろ。八景島シーパラダイスが
金沢八景の事か?行ってみよう。しかし行って聞いてみるとココは水族館みたいなモノらしく、違う。
誘導員のお兄さんにもう一度話を聞いてみて、ホンモノの金沢八景を目指す。
「金沢八景駅」
うむ。またココか。
どうやら金沢八景という景色は、無いのかもしれない。調べてみたら「帰帆」とかなので、帆船の往来して
いない今のご時世、仕方ないのかもしれない。地名にのみ存続しているが、景色として絶滅してしまってるん
だろう。東京も然りだし、都会だからしょうがないか。次行こ。
川崎市はパンフレットを見た感じじゃ川崎大師とお菓子の街だ。まぁスルーしてもいいだろ。南の横須賀市
から三浦半島に進もう。特にアテが無いので、海岸沿いにずっと走る。神奈川県は観光パンフレットの
性能がイマイチ悪い。県庁で探した時も、横浜市、横須賀市、鎌倉市のパンフレットは無く、他はあっても
物件が弱い。横浜や鎌倉は日本有数の観光スポットだが、神奈川県のイメージを全体的に言うなら「観光」
ではなく「巨大工場の立ち並ぶ工業地帯」という面、米軍や自衛隊基地がやたら多い「軍事施設」の面。
こういう県だ。カルロスゴーン社長が神奈川県を丸ごと買収しようとしてるらしいが、軍事基地まで支配下に
なったら日産王国として独立するかもしれない。やばいぞ。
ややもして観音崎に到着。浦賀水道の玄関口だ。ここから北東方向にある千葉県富津岬に抜ける
海路が昔の東海道・・・サイトの地図だと富津岬は明らかに南東になってるなぁ。誤差誤差。ドンマイ。
歴史イベントで言うと、ここはヤマトタケルが東北遠征の時に通っている。ヤマトタケルは景行天皇の
息子で、岩手県の北上川周辺の国を討伐した男だ。名前はけっこう有名で超古代のヒーローみたいな
扱いに思われてるが、意外とカッコいいシーンは無い。焼津で盗賊に火をかけられ、観音崎で奥さんを
失い、北上川で戦い(描写無し)、甲府で宴会して、足柄山で奥さんを悲しんで帰ったそうだ。この奥さんを
悲しんだ時に言った言葉が間違って伝わり、関東地方=アズマの国の語源になっている。たいてい
船で移動してるので、歩くのが嫌いだったんだろう。奥さんが荒波を鎮めるために入水自殺したのがこの
観音崎で、少し歩くと奥さんが身投げした地点があり、ちょっと北に奥さんを祭った走水神社がある。
今の観音崎がどういう観光地かと言うと・・・なんだろうな・・・。えーと浦賀水道を通る船を眺めるスポット
と言うのが1番かな。船=そんなにいないというイメージが先行しがちだけど、ここで見てると何隻、何十隻
単位の船が絶えず東京湾を往復してるのが見える。観光用に歩きやすくはなっているけど、灯台がある
くらいで特に観光施設は無い。火山岩が海蝕でへこんだ感じが「キノコ岩街道」を髣髴させる場所だ。
大戦中に作られた砲台陣地がいくつか残っているので、そっち系のマニア向けか。泳げもするけど泳ぐ
場所じゃない。どっちかというと海釣りだ。
あと芝生で火が使えるので、焼肉、バーベキューをやりにきてるお客が多い。くそーいい匂いだー。
観音崎。海蝕洞があるけど入れない。基本的に歩いて終わりだ。
10月16日(2)
海岸沿いに南へ。途中の海岸はほとんどサーフスポットで、あたり一面の海にヨットの帆が乱立している。
ヨットはもっと沖合いでやるモンかと思ってたけど、そういやヨットサーフィンてのもあるんだもんね。週末の
せいか、海岸に近い波間にかなり狭い間隔でヨットの帆がずらっと並んでいる。遠目に見てると竿がいっぱい
立ってるみたいで、千葉の海で見た海苔畑みたいだ(サーファーの皆さんゴメンナサイ)。そんな思いを
馳せつつ三崎市へ。
来て見たものの、三崎市は観光地ではなく、漁港だった。特産はマグロで、日本でも有数の遠洋漁業の
拠点都市だ。わーいマグロー!滅多に食えないから、食べたーい!でも日本で1番高いお魚、食えるかな?
とりあえず安そうな漁協直営のお店を探す。観光客向けじゃなく港湾関係者向けの小汚い食堂みたいなの
が理想だ。しかしそういうお店は見つからず。漁協直営の食券でやってる食堂が安そうな気がしたので、
そこで勝負だ。
大成功! 安─(゜∀゜)─イ!!
すげー!マグロ定食で1000円!食い方次第じゃ数万円で効かないマグロが、産地で1000円!
俺の食費としては高いほうだけど、こりゃお得だ。わーい!食おー!
産地型名物というのは、流通の中間マージンが無い分安く食べられると思うのが普通の考えだが、日本の
場合は産地というブランド力を活かして値を吊り上げる場合がほとんどだ。農産物もそう
だが海産物は特に顕著で、流通の末端であるスーパー小売価格の10倍くらい吹っかけてくる。取得原価は
一緒なので、9倍分は丸々儲けに当てられてる計算だ。いくら新鮮とは言えこれは腹が立つ。俺が出会った
悪質な港だと、3000円オーバーのいくら丼があったので「鮭が獲れるんですか?」と聞いてみたら「北海道
産です」と言われた事がある。このように単に海繋がりなだけで値段を吹っかけてくる場合もある。産地型
名物は「せっかくの観光だし、贅沢しよう」なんて甘い気持ちで財布を緩めたら危険なのである。俺が海産物
を食う時は「今ココで獲れるモノは何ですか?」と聞いて、その単品+定食セットで食うようしている。多少
貧乏臭いが、産地の旬のモノを正しく食うにはこれが1番安全だ。まぁ食い方はともかく、メニューだけを見ず
お店や市場で話を聞くのはかなり重要である。
しかし。この三崎市のマグロは違う。マグロ漁は1年半の遠洋漁業で、獲った片っ端から冷凍して回る漁
なので、旬だとか新鮮だとかの言い訳が効かない。そのため中間マージン無し、まさに産直の安いマグロが
そのまま食べられるのである!うわーいい商売してるよ三崎市!
いやー、おいしかった(^-^)!各地で名物いろいろ食ってるけど、初めて得したというか、総合的にA+で
評価できるイイモノに当たった気がするなー。ごちそうさまでした!
10月16日(3)
お風呂に入りたい。昨日入れてないし、この辺で見つけておく予定だった。三崎市から北上して鎌倉へ
至る道、葉山とかはオサレな匂いのするリゾートホテル街だと思っていたので、温泉じゃないにしても日帰り
入浴くらいはあるだろうとタカをくくっていたのだ。しかしまたアテが外れた。横須賀〜葉山〜鎌倉という
相模湾沿いは、リゾート地な事はリゾート地だが、ペンション&分譲マンション街と、企業系の保養所ばっかり
のエリアだった。くそー風呂が無い。この浮浪者然としたいでたちのまま週末で賑わう鎌倉に突入するのは
ちょっと忍びない。源頼朝公にも失礼に当たるだろう。どっか風呂ないか、風呂。
三浦半島は山を見ると火山性の半島みたいだが、温泉がなかなか無い。横須賀市、逗子市、葉山町を
行ったり来たりと迷走し、ようやく温泉発見。ふう。
ポカポカ決める。中途半端な時間になっちゃったなぁ。鎌倉は明日アサイチから勝負だな。その辺をぶら
ぶらして今日を終わろう。適当に写真でも撮るか。
題【釣り人と富士山】By佐山漁港 富士山が小さすぎて失敗。
題【夕焼け雲】By葉山のコンビニ 電線が入ってしまい失敗。
ろくな成果なし・・・_| ̄|○
いーや寝よ寝よ。また大楠山に戻り、山道に車を潜めて寝る。
10月17日
ついに来た。
旅の第1チェックポイント、鎌倉。
歴史上の、日本の第2首都、鎌倉。
日本中に散らばる源氏一党の棟梁、鎌倉。
武家政権発祥の地、鎌倉。
そう! ここが! あの!
鎌倉幕府なのですっ!!!!
(これだけ)
<(T◇T)>うわああぁぁぁぁぁ
東日本最大の楽しみだったのにぃ〜!!
_| ̄|○シクシクシクシク・・・
【 流人 第1部 完 】
10月17日(2)
俺の旅はまだまだ続く。涙が止まらないけども、それでも足を止めてはいけないんだ。この悲しい想いは
そっと胸にしまい、次なる歴史の勉強への糧としないとならないのだ。ちくしょー負けるな、俺。
めそめそしながら鎌倉の街を歩く。次の目標は鶴岡八幡宮だ。
いやー賑わってるなー。天気も回復した日曜日なだけあり、客足はすごいモンだ。鎌倉市街のメイン
ストリート、若宮大路がそのまま参道で、街の中心にでーんと居座ってるのが鶴岡八幡宮だ。そのため
駅から徒歩でも車でも、街を回ろうと思えば何もしなくてもココに到着する。まさに鎌倉の目玉スポットだ。
神宮級まで広くないがそこそこ広い神社で、ひととおり建物を備えている。造営は源頼義なのでそんなに
古い神社じゃないが、なんせ鎌倉幕府の加護を受けていただけに建物は立派だ。あまり古く感じなかった
ので、割と最近建て直ししてるのかもしれない。
神社としてのバランスがいいが、残念ながら博物館とか景勝地が併設されていない。なので、お参りや
お散歩といった神社スタンダードの遊び方以上は無い。源氏博物館あたりが無いかと期待してたんだが、
無かった。まぁ鎌倉は狭い範囲に神社仏閣が密集してるので、ここに全部無くてもいいんだろう。
まるっきり平坦なのでかなり見やすい。が、正直言ってあまり見る所が無い。
鎌倉と言えば源氏。ここは当然源氏の資料館か、市の博物館を勉強しておきたい。神社の人に聞いて
みると、鶴岡文庫という源氏がわかる資料館があると言う。それだよビンゴ。やや北だがほとんど八幡宮の
敷地内だ。行ってみる。
だいぶ期待して来てみたものの、しかしココ、ただの図書館だ。確かに源氏を理解するなら図書館以上に
優秀な所は無いが、これはさらっとというワケには行かないぞ。なんせ今日も有料駐車場だ。しかも鎌倉は
狭いので、横浜以上に駐車場が高い。だいたいどこも600円/hで、散々探して停めた所は500円/hだ。
この条件下でお勉強するのはかなり痛い。でも鎌倉を通り過ぎてから鎌倉の勉強してるようでは、見所を
逃してしまう。迷い所だが、鎌倉に関係ある所だけ読んでしまおう。
つーワケで毎度のお勉強タイムに突入。
・・・ ・・・ ・・・(勉強中)。
・・・ ・・・ ・・・(勉強中)。
・・・ ・・・ ・・・(勉強中)。
いやー長い・・・さすが鎌倉、歴史が細かいよ。まだ南北朝にもたどり着いてないや。今何時・・・
ぎゃー3時半!!
駐車代が、やばい!すごいやばい! これは鎌倉分だけっつっても読んでられないぞ。諦めよう。
すごい中途半端だけど、仕方ないよー!撤収ー!ひー!
10月17日(3)
結局今日は鎌倉をほとんど見てない。明日半日は鎌倉に使おう。神奈川県、すごくお金がかかってる
気がするなぁ。まぁそれはそれとして、帰り道で見れる所は見てしまおう。急げ〜!
源頼朝公のお墓。幕府跡地のすぐ近くだ。権力者の割に、しょぼい。
最終的に暗殺されたので、扱いもそぞろなんだろうか?
鎌倉宮。大塔宮が幽閉され殺された牢獄の跡地に建っている。
大塔宮は南北朝騒乱期、後醍醐天皇の息子で、鎌倉討幕後に足利排斥に失敗して捕縛され、
ここに閉じ込められていて、中先代の乱のどさくさに紛れて殺されてしまった。足利直義の性格が
めちゃめちゃ出てるエピソードで・・・専門的すぎるね。そのうち別で書くよ。マジかー牢獄残ってる
のかー!すげー見たかったけど、5時過ぎてしまい時間切れ。ちくしょーかなり残念。
勝長寺跡地。たぶん。
鎌倉幕府の最後の執権、北条高時が篭城した場所。パンフレットで見る限りこの辺なんだけど、どうも
見つからない。住民に聞いてみたけど「知りません」と言われる。山っぽさだけかもしれない。
けっこう歩きまくったけど見つからず。駐車代が気になったので諦める。
基本的にこの3つ、メイン足りえない場所なので、小さくまとめました。鎌倉宮は見れるけど、他はついでに
見るか、程度です。時間が余ったらどうぞ。
さて・・・駐車代、いくらになってるかな・・・?
5700えーん!!! げふっ!!(吐血)
鎌倉は・・・車で来る所じゃないね・・・(涙)
10月18日
鎌倉における戦史上の重要ポイントは、昨日見た所+稲村ガ崎くらいだ。今日は寺社巡りになる。
すごい意外だったが、鎌倉の街のイメージは「古都」ではなく「オサレ街」だ。由比ガ浜にはサーファーが
所狭しと浮かんでおり、街はオサレな飲食店がずらりと並ぶ。近いと言えば軽井沢だ。その隙間隙間に
仏閣が30個くらいか?が乱立するのが鎌倉の街だ。古い街並みのような住宅街などはほとんど見当たら
ない。鎌倉は周囲を山に囲まれていて、渋滞してなきゃ15分もあれば駆け抜ける事ができるかなり狭い
街で、自転車があればベストだが、歩いてでも全部の観光地を見て回るのは可能だ。そんな狭い土地で
文化を守っていこうとすると、生活圏が無くなってしまうのだろう。鎌倉観光は、基本的に仏閣を見るか、
ヤングな遊びをするかのどっちかしかないだろう。
もはや住んでると言ってもいい大楠山から3度目の出撃。今日の最初は建長寺だ。北鎌倉エリアにある。
鎌倉中心街は駐車場がネックになるので、やや離れた北鎌倉で駐車場を探す。正解。北鎌倉付近なら
料金の上限つき駐車場がけっこうある。北鎌倉から鎌倉方面へは下り坂なので、車で観光に来るなら
北鎌倉に車を捨てて、鎌倉方面へ降りていくのがいいんだろう。帰りはJRで帰ってこれるし。駐車場が
無料の浄智寺がかなり狙い目だ。
ほっほー、コレが有名な建長寺ですかー!でかいなー広いなーキレイだなー。
建長寺は臨済宗のお寺で、鎌倉期の創建。鎌倉幕府がまだ健全ないい感じの時に作られてるので、
けっこう立派だ。敷地も広くて建物間隔が広く、さっぱりした感じだ、建物は多いが、現役の道場とかなの
で、入れない建物も多い。修行の声みたいなのが聞こえてくるのが、なんかオツだ。広くて清掃の具合が
いい(開店直後だけど)し、展望台などもあり、観光用を意識しているお寺だ。ちなみに入口から入場料を
取る。仏閣では初めてだ。
特徴があると言えば、唐破風(からはふ)という屋根。中国風という意味だが中国にはあまり無く、日本で
中国をイメージして作られた屋根だ。鉄板を曲げてのっぺりした感じで繋いだ屋根で、俺の旅の中じゃ
これも初出だ。
朝の散歩。気持ちいいね〜。 唐破風屋根。初めて見た。
建長寺で有名な人は、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)という中国人のお坊さんだ。なぜ有名なのかと
言うと、けんちん汁を発明した人だからだ。「けんちん汁」は「建長寺汁」が略された名前なの
だ(注)。
最近ならどこかで食えるけんちん汁。吉野家のおかげでけっこうメジャーな料理になっているが、さて
けんちん汁の定義とはナンだろう。お味噌汁とけんちん汁の違いは。ナンだろう。これを聞いてみたら、
けんちん汁の発明秘話を教えていただいた。
時は鎌倉。そろそろお昼時である。
料理当番の坊さん 「あっ!」
蘭渓道隆 「どうしたの?」
料理当番の坊さん 「お豆腐を落として、割れちゃいました(T_T)」
蘭渓道隆 「なー!もったいない!食うべ、食うべ。大丈夫3秒3秒。セーフ」
料理当番の坊さん 「なにげに意地汚いですね」
蘭渓道隆 「台所に野菜の切れ端あったよね。あれもいれちゃお」
蘭渓道隆 「・・よし!できたぁ!食ってみぃ」
料理当番の坊さん 「俺が食うっすか( ̄□ ̄;)!!!」
蘭渓道隆 「大丈夫だったら俺も食うよ」
料理当番の坊さん 「しくしくしくしく」
(もぐもぐもぐもぐ)
料理当番の坊さん 「ウマ──(゜∀゜)──イ!!」
蘭渓道隆 「な、そうだろっ! 食べ物は大事にしないとダメなんだよっ」
こうして誕生したのがけんちん汁である。そしてけんちん汁というのは「どういう味」とか「これを入れる」と
いう決まりは無い。別に味噌味でもしょうゆ味でも関係ない。けんちん汁の材料で1番重要なのは「食べ物を
粗末にしない」精神なのである。コレがけんちん汁である。だそうだ。
そうだったのかっ!!
なるほど納得。またひとつ賢くなりました。結局何でもアリって事ですね。喜多方ラーメンみたいですね。
ぶっちゃけてしまえば、その通り何でもアリだそうだ。味噌でも醤油でも、具も何でもよし。とにかく食べ物を
粗末にしない事が大事。けんちん汁が全国に広まったのは、この時蘭渓道隆が作ったそのスープが
たまたまおいしかったという話である。つーかコレは料理として広まったと言うより、蘭渓道隆を
物語る逸話として広まっていったんだと思うほうが自然だろう。
こういう事なので、けんちん汁という料理はレシピを持たない。しかし敢えて正確なけんちん汁と言うのなら、
1.坊さん料理なので肉魚類を使わない事(ダシ含む)
2.くずれた豆腐を使う事(しみ豆腐らしい)
となる。けんちん汁は現在でも建長寺のまかない料理として現存していて、肉類は使わず、ダシも昆布
オンリーだ。あと野菜は炒めてから煮る。コンニャクは丸くして、やっぱり炒めてから鍋に入れる。これが
建長寺流だそうだ。ダシが弱そうなので、醤油や味噌がキツイような気がする。
ちなみに、けんちん汁は建長寺では頼んでも、食べさせてもらえない。近くに建長寺公認のおそば屋
さんがあるので行ってみた。醤油ベースの野菜汁で、ダシはカツオだった。昆布ダシでは現代人の味覚じゃ
物足りないらしく、商売上仕方が無いと言っていた。まぁ、普通においしいかったです。高かったけど。
10月18日(2)
さぁ続いては、鎌倉の大仏だ。他にも有名な円覚寺とか鎌倉五山制覇とか目標を立てることもできるが、
仏閣系はあまり興味が無いので、建長寺のようにエピソードを抱える所だけにしておく。車で移動。歩いてる
時間がロスになって大ダメージになるので、駐車場を小まめに乗り継ぐ事にした。まぁ20分もかからない。
ホント狭いな、鎌倉。
ダーイブーツー!!・・・微妙に、でかっ!!
日本3大仏の1つにもなっている、鎌倉大仏。鎌倉大仏という呼び方が一般的だが、正式には高徳院と
いう浄土宗のお寺だ。とは言えお寺の伽藍などは無く、だだっぴろい塀の中に、大仏様がどかっと鎮座
している。大きさは・・・微妙にデカい。11mだそうだ。って事は富山県の高岡大仏のほうがデカいが、
こっちのほうが大きく見える。周囲に何も無いからだろう。そう考えるとけっこう可哀相だな、高岡大仏。
その周囲がすっきりしてるせいで、けっこう威風堂々とした感じだ。これは見所として、合格点だ。
とは言うものの、大仏様の他には売店しか無い。大仏様の周りをうろうろするくらいしか無いと言えば
無い。あんましすぐ帰るのももったいないし、ぶらぶらしてみ・・・
なっ( ̄□ ̄;)!!!
ナンだコレはっ( ̄□ ̄;)!!!
だ、大仏様の背中に
穴が開いている( ̄□ ̄;)!!!
何? 何? どうしたの大仏様っ?
大仏様の身に、何が起こったんデスカー!!
ぽく ぽく ぽく ぽく ・・・ (考え中)
エアコン(゜_゜;)?
ぽく ぽく ぽく ぽく ・・・ (考え中)
バット(゜_゜;)???
ぽく ぽく ぽく ぽく ・・・ (考え中)
・・・ Σ(゜∀゜)キュピーン!!!
羽だ──(゜∀゜)──!!!
長官!タイヘンです!
テポドンが日本に向かっています!!
ナニィ!迎撃するんだ!
やばい!もう間に合わない!!
日本はオシマイだ!
もう祈るしかない!!
あっ!! 大仏様がっ!!
やったー 日本は救われたぞ!!
大仏様ありがとう!
【 完 】
高徳院の皆さま、申し訳ございませんm(_ _)m
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイウッタエナイデクダサイ・・・。
(大仏様の中に入れるようになってますので、採光窓かと思われます)
10月18日(3)
お後がよろしくない妄想をしてしまった。怖い事にならないように祈ろう。
さて気を切り替えよう。鎌倉の名所で俺のアンテナに引っかかるモンと言えば、これでだいたい全部。
後は鎌倉から湘南へ向かう途中にある稲村ヶ崎に寄って行けば終わりだ。さあ行こう。
うわー渋滞に巻き込まれたー
・・・ ・・・ ・・・。 なんで月曜日なのに、こんなに混んでるんだろう。ぜんぜん進まないよ。
稲村ヶ崎があるのは、このすごく長い渋滞のど真ん中くらいだ。下車したら出るに出られん。諦めよう。
稲村ヶ崎で狙ったのは、鎌倉幕府が滅亡した「稲村ヶ崎の戦い」の戦場だ。新田義貞がこの稲村ヶ崎に
宝剣を投げ入れたら潮が引いて道が開け、突入して鎌倉幕府を滅ぼしたという戦いだ。潮が引いたのは
引き潮ではなく地震のせいだ。すごい偶然。1歩間違えば大津波で両軍全滅だ。まるでいいこと無かった
新田義貞のダメ人生中、たったひとつだけの華のあるエピソードである。でも渋滞だからスルー。
ごめんよ新田義貞公。次、次。
湘南!
そう!
ここは!
若き!
男女が!
熱き!
血潮を!
たぎらせる!
パラダーイス!!
夏ならね・・・
ちくしょーみんなウェット着てやがるー。 水着ギャルいないよー_| ̄|○
本当は8月に来てるはずだったのになー・・・。
10月18日(4)
つーか俺のような典型的なもやしっ子に湘南の海ってのはどうだろう。俺は秋葉原には興味は無いが、
精神性としてはアキバっ子である。秋葉原と神田の間くらい、言うなら湯島っ子だ。湘南とは180度近く
反対側の住人だ。湘南というワードは縁が遠すぎる気がするなぁ。まぁナンパされたのならそんな
方向性の違いは軽く吹っ飛ばして、湘南の熱き血潮に身をゆだねる覚悟はあるけども。つーか「熱き血潮」と
いうワードで真っ先に連想するのが湘南でもスペインでもラテンでもスポーツでもなくサクラ大戦な
時点で俺はもう立ち位置を変えられないかもしれない。
まぁ俺は俺のスタイルで行こう。俺のスタイルと言えば、歴史だ。
湘南と言うのは江ノ島を中心に東西を走る海岸一帯で、地名で言うなら藤沢市と茅ヶ崎市の浜辺を指す。
そのもっと西に「湘南平」という地名があったが、湘南の人に聞いたら平塚市は湘南に入れてもらえない
らしい。今はサーファーしかいないが、砂浜で、遊泳スポットだろう。神奈川県南岸はたいていが砂浜で、
九十九里浜と比肩するくらい親水場が多い。他で見たどこの海より波が高いので、サーファーが多いん
だろう。ちなみにもっと西、小田原の手前だが、大磯海岸が日本の海水浴場第1号だ。
湘南は・・・ネタにしてると俺が淋しくなるので、こんなモンでいいや。次は江ノ島だ。
江ノ島。日本3大弁天、江ノ島弁天がある島だ。島だけど橋で繋がってるので、島までは車で行けるが
島に入るとすぐ駐車場があり、そこからは徒歩。所々に民家はあるが、生活道路が無い。観光&神社参りに
特化しまくった島だ。海岸線は全部マリーナ、後は神社と門前町なのが江ノ島だ。
さて江ノ島弁天へ向かう。小さい島ながら門前町は賑わっていて、店も多い。浅草に似た雰囲気がある。
門前町を抜けてしばらく山を登った所に、江ノ島神社がある。3つあり、祭神は宗像3神と同じ。実は
弁天様はメイン神じゃない。弁天様は隣のお堂に入っていて、社務所で頼むと見せてくれるらしい。見ても
写真撮れないだろうから、俺はパスした。
江ノ島はすべての施設が1本道だ。門前町、1つ目の神社を過ぎると植物園。さらに進むと食堂街があり、
2つ目の神社。3つ目の神社、そして終点は「岩屋」という海蝕洞窟だ。ゆっくり往復して2時間程度。割と
体力を使うぞ。階段が急勾配なので、お年寄りは体力を、女性はスカート丈を、男性はのぞきの冤罪を
心配しよう。
一ノ宮。神奈川は唐破風が流行か? 岩屋への道。いい感じの景色だ。
3つ目の神社、奥宮へ到着。ここから分岐があり、岩屋への道と龍恋の鐘への道とな・・・なんて
ラブ時空な響きだ!どんな場所か行かなくてもなんか想像できるぞ!行ったら月山以上の自分の浮きっ
ぷりに発狂してしまう!行ってやるもんか!フンだ!迷わず岩屋へと。
しかーし。岩屋、こっちもけっこうラブ時空。照度を控えめにした青、紫のラブホっぽいライトアップ。
ローソクなんてムーディーなアイテムを持たされ、歩く。肩のあたりが、腕のあたりが、スースーするよぅ。
淋しいよぅ。前を歩いてるカプールがその存在だけで俺を痛めつける。淋しいよぅ。負けるな、俺。
こういう時は勉強だ。勉強で心を静めるのだ。明鏡止水だ、俺。えーと洞窟には鍾乳洞と溶岩洞と海蝕洞の
3種類があってーここは海に浸食された洞窟が隆起してできた洞窟かーなるほどーここには竜神伝説が
あってー竜神様って本当は山の神様のはずなんだけどなー中国の龍のモデルは大蛇だけど日本は大蛇が
いないからウツボがモデルなんだーそれで海の神様に変わったのかーなるほどーおー役小角が修行に
来てるぞーすげー・・・シクシクシクシク。
ややもして、小さい竜神様の像が。前のカプールが通り過ぎようとした時、
「がおー」
と、迫力無い声を上げる。
「きゃっ」
とか言っちゃって彼氏の手をとる彼女。
プツン (何かが切れる音)
やってられっか!!!ヽ(`Д´)ノウワァァン
そんなちゃちい龍で驚くんじゃないっ!!ヽ(`Д´)ノ ウワァァン
おまいら、わかっててやってるだろっ!! 演技だろそれっ!!ヽ(`Д´)ノ ウワァァン
ちょっと手前に「ドッキリアトラクションあります」
って書いてるじゃねーか!!ヽ(`Д´)ノ ウワァァン
ヽ(`Д´)ノウワァァン!!
ヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!
ヽ(TДT)ノ ウワァァン!!
こんなラブ時空、嫌だよぅ・・・。 ここはドコなんだ。 どんな異空間に流されてしまったんだよ、俺は。
周囲を無差別に攻撃しまくりたい衝動に駆られる。くそーおまいら、俺の目の前でそれ以上先のステージに
進んだら一揆起こすぞゴルァ!! チクショー!!
出、出よう・・・。 このままでは自我が崩壊する・・・。
とまぁ、江ノ島はこんな所です。海岸だけがラブ時空ではありません。まがりなりにも神社なので大丈夫
かと思ってたら油断しました。精神的入場制限がありますので、精神的に18歳未満の方は
くれぐれもご注意ください。場所が崖っぷちですので、不幸な事故が起こる可能性があります。
洞窟。ローソク持たされた時は福島の嫌な思い出がよぎった。
10月18日(5)
夕暮れ。渋滞エリアの鎌倉を横断してしまったので、もう大楠山には戻れない。新しい寝床を探そう。
最初は海岸か漁港でいいと思ってたんだが、この辺はぜんぜん漁港が無いし、海岸はたいてい有料
駐車場だ。パーキングが見つかればいいけど、最悪山だ。保険を兼ねて内陸方向へ進もう。平塚市は
七夕で有名。スルーでいいだろう。厚木市は大都会だから、そこまで行きたくないなー。
しばらく走って伊勢原市。車もスムーズになってきて、この辺でようやく人口密集地帯を過ぎ去った気に
なってきた。ちょうどいい寝床は無かったが、空き地っぽい草むらに突っ込んで寝る。
10月19日
雨降った。足柄と小田原と箱根、あと1日あれば終わる感じだったのに間が悪い。調べてみたら、秋雨
前線が活発化している。原因は台風だ。また懲りずに来たか。はっきり言って、もう台風は脅威じゃない。
俺のいる場所には絶対来ない自信がある。今回のは西寄りだし、対策すらしないで大丈夫だろう。
とは言え雨は邪魔臭い。図書館で読みきれなかった県史を仕上げるか。
神奈川西部エリアで県史がありそうな都会と言ったら、どこだろう。小田原市か。ちょっと遠いな。あと
歴史的重要ポイントだったのは秦野市だ。あまり都会とは聞かないけど、その2つで探してみるか。
電源付き図書館キタ──(゜∀゜)──!!
キターー!!電源ゲットーー!しかも県史もゲットーー!いいぞ秦野市!
ってワケで今日は1日勉強して終わる。電源付き図書館、すごい久しぶりだ。かなり長居できるよ、
助かった。ここ拠点に決定!道の駅は遠いけど、山でもいいや。スーパー銭湯もある。コインランドリーは・・・
無いか。吉野家はあったな。あと幸楽苑と山田うどんがあればメシのローテーションが組める。探せ〜!
10月20日
洗濯: コインランドリー無し。
食事: 吉野家が2軒。マクドナルド1軒。
・・・この3軒でメシをローテーションさせるしかないか。
つーかこれはローテーションと呼べるのか?
まるっきり野菜が無いのが気になるが、まぁそのうち見つかるだろ。
今日も雨なので、更新してオシマイ。
夜。 台風は大垣にいるみたいだ。 位置的に北陸行くだろ。 気にしないでよさそうだ。
10月21日
あれ(゜_゜;)??
台風で高速道路の町田ICが止まってるぞ。 どういうコト?
大垣⇒町田なら、コース的に俺の真上を通り過ぎた感じがするけど・・・。
昨日は小雨が降ったり止んだりくらい。 風も無くて、けっこうすぐ熟睡。
台風って、真芯以外はたいした事無いのかな?
謎だ。 まーいーか、更新しよ。
10月22日
やっと晴れた(゜∀゜)!!! 旅再開っ!!
今日は神奈川西部エリアだ。足柄峠、小田原城、箱根峠。俺の回り足だと1日で終われると思う。電源
付き図書館があるのでゆっくりやって構わないんだが、天気で足止めされるとやる気が減る。回れる
天気のうちに回れるだけやってしまおう。というワケで、足柄峠へ向かう。
足柄峠。箱根峠は江戸時代に整備されてるので、日本の幹線としては足柄峠のほうが格が高い。
ヤマトタケルが通った道でもある・・・というかヤマトタケルの通った道が後の東海道になったので、当たり
前と言えば当たり前だ。源義光などもココに来ている。
今の足柄峠は、ほぼ廃棄されたような道路だ。国道じゃなく県道で、東海道が箱根峠に移管され、国道
1号線も箱根を通ってしまった事、足柄峠のすぐ近くを高速道路が走ってしまった事で、まったく需要が
無いような林道っぽい道路。その車どおりの少なさからかハイキング者のほうが多かった。鬱蒼と茂る
森林地帯をけっこう急角度で登る。道路も葉っぱを清掃して無いので、けっこう滑る。今まで走ってきた
道路の劣悪さランキングではベスト3に入る道だろう。
けっこう走って足柄峠に到着。ギリギリ静岡県なんだが、静岡側からはココに来ないので、OKって事で。
頂上の付近に駐車帯があって、そこに駐車。足柄城という城址があった。俺の知らない城だけど、登って
みよう。
イイ(゜∀゜)!!!
すごい!めちゃめちゃイイ富士山のビュースポットですよ!!
御殿場市と裾野一帯を見渡せて、キレイな形で富士山を拝める。しかもカメラのフレームにすっぽり
収まる適距離。城址なだけあって木をきちんと刈ってるので、視界も広くてすごくいい感じだ(゜∀゜)!!!
うわー正解!これはいいトコ来れたー!
お城はぜんぜんわかんないや。足柄関所跡も微妙な感じ。関所の門が1つだけ再建されてて、関所跡を
ぐるりと囲むように道路が張っている。むしろ邪魔扱いされてる関所だ。下の写真(左)に見える部分で
全部だ。ちょっと淋しい。あと足柄山と言うと金太郎だが、こっちの情報もほとんど無し。金太郎が遊んだ
という石までがハイキング道になってる以外は何も無し。どんな人物かもわからなかった。
門と看板1枚、あと写真のやつだけ。 笛吹石。エピソードがマイナーすぎるので割愛。
歴史的な話はまったく収穫無かったけど、でもココはバツグンの富士山ビュースポットとしてだけで
だいぶ価値がある。こりゃ来て良かった。
10月22日(2)
小田原市と言えば小田原城!北条一族の拠点城!やっと来れました!なんせ東京、埼玉と北条一族を
追っかけてきたのに途中で分断されちゃってたモンで、ネタにしづらくて困っていたのだ。
小田原城は関東一円に勢力を張った北条一族の拠点城。ゲームでは1番硬くてやっつけられない城と
して有名だ。当時の小田原城は街をすっぽり塀で囲ってしまう中国式の「郭」という建築をしていて、
日本の主流の「曲輪」とはぜんぜん違う。その辺が楽しみだったんだが、残念な事に江戸時代にだいぶ
ぶっ壊されてしまったようで、今現存してるのは二の丸以内の範囲と、天守閣。天守閣も江戸製だ。
近くにある資料館でそういうお話を聞いた後。さっそく小田原城に行ってみる。
むむむ〜〜〜 ( ̄ヘ ̄;)???
なーんか、変な形してません?
今まで見たお城とは、微妙に違わない?このお城。近いのは・・・忍城、そば城か? うーん。
ぶっちゃけ言ったら悪いんだけど、すごくカッコ悪くない? (あ、やばい言っちゃった)
なんだろ。 すごい不思議だ。
1番不思議に感じるのは、階と階、1フロアの高さだろう。中に入ってみたけど、別に中が2層式になってる
ワケじゃなく、見たまんま3重4階建てだ。なんでこんな広い高さが必要だったんだろう。
明治になって肉を食い始めるまでの日本人の平均身長は150cmだ。170cmもあったらバケモノ扱い
されるくらい時代だ。だから人間が中に入るには、こんな高さはまず必要ない。鉄筋コンクリートがあるワケ
じゃないし、建築強度や施工技術の難しさを考えると、お城としてかなり不自然な感じがする。なんでこんな
形にしちゃったんだろう?
中に入って博物館員の人にさっそく聞いてみたが、その辺の経緯はまだ詳しい事はわかってないそうだ。
今あるのは戦後再建したモノだが、実際江戸の当時からこんな形だったそうだ。いちおう通説では
見栄を張りたいからだという事になっているらしい。箱根峠を越えてきた人がこのお城を見て、
「うわー江戸幕府すごいよー反乱するのやめよー」って気にさせるため。権力の象徴つまりお飾りだ。
なーんか、楽しくない話だなー。戦国ロマンが無いなー。これぶっ壊して北条時代ので再建しようよー。
ちなみに博物館員も「かっこ良くないよね」と言っていた。小田原城公認だ。
小田原城は水堀が無い。基本的には公園で、1万人クラスの野外コンサートならできちゃうくらい広い
公園だ。その広さが災いして建物系はあまり無い。全部を再建してたら街がなくなってしまうんだろう。
ポツリポツリと門やら櫓やら橋が残っている。割と1箇所に固まって再建してるので、見る分には辛くない。
天守閣の内部は北条一族・・・もあるけど、どっちかと言えば江戸期の展示品をメインにした博物館。他の
お城と大差ない。北条一族の話なら近くにある北条資料館がすこぶる性能がいい。北条5代を完全に
網羅していて、びっくりするくらい詳しい。タノシ──(゜∀゜)──!!!
10月22日(3)
続いて箱根エリアに向かう。箱根峠は有料道路が何本も走っているので有料道路で超えるのが基本
みたいだが、俺はそういう事言ってられないので下道だ。つーか超えたら意味無い。道は割とよく整備
されてるが、けっこう急峻な山道。箱根マラソンって、こんな所走るの?無理だろ。
箱根エリアは温泉地だ。箱根7湯という温泉街は江戸時代から有名だが、今はもっと増えて10個以上の
温泉街がある。今日3ヶ所目なのでお風呂に入ってると時間が終わってしまう。混浴の看板が見つかれば
今日が終わるどころかこの金土日の間ずっと張り付いててもまったく抵抗無いんだが、それも見当たらない
ので残念だけど温泉はスルーしよう。
箱根峠の頂上に到着。箱根峠のメイン観光物件は芦ノ湖だ。近くに「逆さ富士」というお店があったので、
逆さ富士が見えるのはこの湖なんだろうか。毎度の事だが湖越しの富士山を狙おう。
富士山、手前の山にカブっちゃってるな・・・。
ここじゃないだろ。お店の名前は関係ないようだ。他のモノを探すか。
芦ノ湖は親水できるスポットが無いみたいだ。遊覧船で遊ぶのが基本なんだろう。あとは湖周辺のお土産
屋さんあたりを物色するくらいだろう。温泉街はたくさんあるが、芦ノ湖の繁華街からはちょっと遠い。温泉
巡りをするなら車じゃないとちょっと厳しそうだ。ちなみにこの辺芦ノ湖一帯のエリアは将来合併して
第3新東京市と呼ばれる事になるが、今日この頃の合併ラッシュでの動きは無い。合併するのは
セカンドインパクトの後なんだろう。
繁華街エリアでの見所は、箱根関所と箱根神社。箱根峠は江戸製なのであまり興味が無いけど、チラ見
程度にしておく。箱根神社に行こう。
箱根神社は・・・おおーコレも古い。2400年前くらいだそうで、孝昭天皇だそ・・・どっかで聞いたな。
あーそうだ、氷川神社だ、埼玉の。・・・あれ? えーと、埼玉県の氷川神社は2000年の創建。つー事は
孝昭天皇、400年生きてるー( ̄□ ̄;)!!!神ダー!!
いやいや計算が違うぞ。俺の調べた限りじゃ天皇10代目の崇神天皇が300年頃。5代目の孝昭天皇なら
いいトコ100年前だろう。つー事は
孝昭天皇、500年生きてるー( ̄□ ̄;)!!!神ダー!!
・・・古い話しだし、日本書紀って天皇の寿命を無理矢理書き換えた話だから、こういう事もあるか。流して
おこう。天皇様にちょっかいかけちゃイカンだろ。つーか日本中の神社がそうだけど、だいたい日本書紀を
元に創建年度を決めてるんだよなー。だからすごいズレて来るんだよね。ヤマトタケルも300年くらいズレて
るし。どっちをベースに書こうかなぁ。困ったな。
ともあれ箱根神社。ココもけっこう戦禍に遭ってない神社で、鹿島神宮ほどじゃないが森が濃い。神社と
してもそこそこ広く、社殿もいくつかある。うーん、でも、やっぱりついで級だなー。敢えてココってほどでも
無いな。箱根エリアで遊ぶなら来るべき。でもココのために箱根に来ようってレベルじゃないかな。
箱根関所。今建設中。 箱根神社。ニニギ様だ。
さーて。神奈川県終了〜! 内陸部をまったく見てないよーな気がするが、無いんだよなー。寒川神社か
大山くらいだけど、微妙に弱い。まぁ県トータルで言えばけっこうネタが溜まった気がするし、まぁいいか。
秦野市に帰って更新しよー。
以後更新期に突入。
10月23日
寝床を山北町の道の駅に変更。いやーやっぱり道の駅だわ。誰にも気兼ねせず堂々と寝られるってのは
環境がいいなぁ。どっかの軒先や山じゃそうはいかないモンなぁ。秦野市には長居するつもりなんで、
山北町から通う方向で行こう。20km30分くらいなので、通えない距離じゃない。
つーか車中泊でありながら環境がいいって思える事がどうなんだろう。俺、3畳1間なんて住んでしまったら
狂喜できるんじゃないか?4畳半ならお屋敷と呼んでいいし、6畳なら宮殿だ。
これを逆から考えると、人間が生活するのに必要な面積というのは、けっこう少ないんじゃないだろうか。
俺の例で言うと2m四方弱くらいの空間が生活する上での全スペースだ。風呂やトイレを他の施設に依存
してるので一般家屋も2m弱でいいと考える事はできない。でもそれを差し引いても、実際これで生活が
何とかなっているワケだ。
旅に出てから思ったのは、たいしてモノがいらないという事だ。今俺が生活する上で使っている常用
アイテムは、
・財布、通帳、デジカメなどの入ったポーチ(ほぼ100%携帯)
・PCバッグ (荷物の中じゃ1番デカい)
・お風呂カゴ (+歯ブラシ)
・医療品ポーチ (爪きり、耳かき、絆創膏、リップスティックしか使わない)
・衣料品セット (普通サイズのリュックサックに入る程度)
・ペットボトル (山梨で追加されたヤツ)
・タバコ箱 (タバコの買い置き、ライター他火気危険物)
・行政箱 (離職票やら納付書やらヤヤコシイやつ)
・毛布/タオル/枕。日光のカサ。地図3冊。長距離歩行用の靴。ぞうきん。防寒着1着。
(車内に無造作に置いてある)
これで全部だ。大き目のゴミ袋に入れたら1枚で充分収まる程度の量しかない。トランクにもスキャナ、
車両用工具、再就職用のスーツなど入っているが、ついぞ開けたことが無い。トランクなんて終わった県の
パンフレットを放り込む時にしか開けない。これで充分生活が成り立っているのである。
これで思い出したのが、どこかの博物館で見た江戸時代の旅人の装備品だ。
・守り刀 (兼 携帯カミソリ)
・矢立 (筆記用具の事。筆&墨ツボ)
・地名辞典(地図)
・薬箱
・火打ち石
・財布
・笠 (日避け用と防水用の2種類)
・弁当箱
・折りたたみ式の木の枕
・・・けっこう似てない?
俺は最初からこの江戸アイテムを知ってたワケじゃない。旅してるうちに自然と似てきたワケだ。
俺はまだ車があるので恵まれてるほうだ。バイクや自転車で旅行してる人は、もっと少ないはずで、
たぶん江戸時代の旅人とほぼ同等のモノしか持ってないと思う。
つまり「人間が生活するために必要なモノは、かなり少ない」という事じゃないだろうか。会社を辞める
前の話だが、転勤で12畳から10畳に引っ越した事があって、モノが多すぎて困った事がある。今思えば
何に使ってたんだろう、あんなに。当然家屋生活と無宿生活は一緒くたにできない。家屋生活には備蓄と
言う概念が働くし、経済性をアップさせるためのアイテムつまり冷蔵庫や調理器具がある。でもそれを差し
置いてもかなり余計なモノしかなかったような気がする。つーか俺は備蓄も料理もしてなかった。ナンだった
んだろう、あのモノの多さは。旅行もそうだな。デカいバッグにパンパンに詰め込んで、何に使おうと持って
ってたんだろ、俺は。
現代社会のモノの多さ。こういう生活をしてみてやっと気付けたね。
いやいや。現代社会が悪いとは言ってません。ゴメンうまくまとまんないや。ここカットでお願いします。
10月25日
図書館がお休みなので、代替品の喫茶店を探す。喫茶店でひさびさに新聞を読んだ。
新潟がヒドイ事になってるっ( ̄□ ̄;)!!!
(スイマセンこの日知りました)
うわーすごいヒドイな・・・。震源地、山古志村じゃん。闘牛場の写真撮りに行った所だよ。 うわー。
住みやすそうな街ランキングでベスト3入りした長岡も壊れちゃってるなー。 うわー。
新聞に書いてないけど、震源地が山古志なら栃尾城もう完全に崩壊しただろーなー。 うわー。
直接俺がヤラレたわけじゃないけど、知ってる所がヤラレるのって、やっぱり気持ちよくないね。
痛みがわかるなんて殊勝な事は言えない。当事者の気持ちなんて当事者にしかわかんないし。
でも、見てきたってだけでも、なんつーか、ちょっと違うよ。復興して欲しいと素直な気持ちで思います。
どうか負けないでください。
【宝くじについての考察】(再掲) 師匠がサマージャンボの当選発表を教えてくれないので、自分で調べた。300円。俺の運はお天気専用 のようだ。 ラジオで、2億円の当たりくじが新潟県の洪水被災地に送られた、と聞いたと思う。これはすごい勇気だ。 換金して半額振り込むとかの方法もあるはずなのに、全額を、しかも無記名だったと思う。世の中には すごい人もいるもんだ。俺も、この300円を被災地に上げてこようかな、と思う。宝くじについては詳しくない のでけっこう適当な推測で書くが、この300円というのはバカにできない数字だと思う。 宝くじというのは、3000円買えば必ず300円当たるようになっている。つまり、売上額の1割は必ず 還元されるという事だ。日本の人口は1億人?くらいだとして、その1%が宝くじを買っているとすると 100万人だ。1人が3000円買ったとすると、売上額は10億円。そのうち1億円分は300円の当たりくじが 占めているワケだ。 俺みたいに適当な人間はけっこういると思うので、この300円の当たりくじをメンドくさくて換金しない 人もいると思う。所詮はギャンブル、というイメージもあるせいだろう。こういう人たちがいっせいに被災地に 送ってみたら、1億円の寄付金と同じだ。外れた人の1割がそうしたって1千万円。少ない金額じゃない。 塵も積もれば、というが、まさにその通りだ。 2億円の権利を放棄する、というのは、ものすごい勇気が要る行為だ。宝くじを買ってる時点で当たる 事を望んでるワケだから、なおさらだ。しかし300円の権利を放棄するというのは、ちょこっとの勇気だ。 郵便代80円、これもちょこっとの勇気だ。このちょこっとの勇気と手間で、1千万とか1億とかのお金が 動く。調べてないので適当に言うが、購買層はもっといると思うし、30枚とか買ってる人もいるわけで、実際 もっと売上があると思う。もし100億円の売上があれば、300円券は10億円にもなる。 そういう人たちがほんのちょこっとの勇気を出せば、2億円くらいのお金は簡単に出来上がると思う。1人の ヒーローがものすごい苦悩して、ものすごい勇気を出した決断も、全員がちょこっとの勇気を出せばすぐ届く 範囲だという事だ。2億円の人を否定するワケじゃない。その人はとても偉い。今のご時世に、こんな人は いない。すごく偉い。しかしそれはちょっと置いとく。 日本人は募金というのが苦手だ。人前でいい人ぶるのが苦手だからだ。目立たず生きたい国民性だ。 だから「全員が300円券を郵便で送れ」というのは無理だと思う。でも宝くじの300円券を「どうせギャンブル だし」という割り切りで、捨てちゃうか〜と考える事ならけっこう簡単にできてしまうモンだ。市役所なり公民館に 「ハズレくじを捨ててください」というポストを作る。分別すりゃいいだけだから簡単だろう。行政や町内会が 集約して各地でやれば、けっこうな額の義援金に化けると思う。こういうのは無理な話なんだろうか。 (当稿著作権フリー、誰かどこかにコピペ投稿して) |
以前書いた駄文です(別ネタで書けなくてスイマセン)。
この当時はサマージャンボだったから宝くじで話してますが、
「気持ち的に宝くじ買ったと思って300円募金する」
ってのは、皆さん、どうでしょう。難しい話でしょうか?
もし賛同してくれる人がいましたら、役場でもコンビニでも、どこにでもあるあの小さな箱に
ちょこっとだけ入れてきませんか?
別にボランティアで現場に向かう人だけが力になれるワケじゃないです。
ちょびっとだけでも、できる事はあるんです。
多数のわずかな努力は少数の必死の努力に匹敵するんです。
(別に少数の必死の努力がダメだという意味ではないです)
自分じゃ何もできないと思うのは、ご自分を過小評価しています。
読者の皆さん、やってくれとは言いませんけど、ちょこっとだけ考えてみてください。
※ついでにもういっちょ。
サイトをお持ちの皆さんで、当稿へ賛同いただける方にお願いです。
当文を、ご自分のサイトへ貼っていただけませんか?
まんまコピペでも結構ですし、ご自分の意見、ご自分の言葉で書き直していただいても結構です。
当稿に関しましては流人の名を出せとか著作権が云々とか、そういうメンドウな事は一切申しません。
新潟の皆さんへ援護射撃したいというお気持ちを込めていただければ、文章なんて関係ありません。
1点だけ。著作権フリー文書である事を付記していただきたいと思います。この考えが
ウィルスやチェーンメールの要領で増殖していくのが理想です。そうして少しでも多くの皆さんに
伝えられれば、少しでも多くの皆さんに考えていただければいいなぁ〜と思います。
10月28日
注:富士山
雪キターーー(T□T;)!!!
サンタもキターーー(T□T;)!!!
と、とうとう・・・
冬、到来っ!!!・・・って、秋来てないよ!!
うう・・・ 車泊がキビシクなってきたなぁ・・・。
つーか冬に岐阜⇒石川⇒福井ってルートはどうなんだろう。自ら死地に赴くようなモンじゃないか?
好きに動いていいのに敢えて攻めるってのは、勇敢でも何でもない。バカだろ。
まぁ愛知までは1本道だから、その辺で考えようか。三重⇒和歌山⇒大阪⇒奈良⇒京都⇒岐阜って
ルートで困るのは地図ページが伸びて嫌なくらいだ。TV番組じゃないんだし、京都を飛び越して兵庫に
入ってダメだと決まってる理由も無い。少し考えよ。つーかそっちしか無いんじゃないかな・・・。
10月29日
更新終了っ!
あーやっと終わったー。電源付き図書館があるとゆっくりやれていーねー。大仏様描くのに4時間とか
かけてられるし。やっぱ行政だ。行政サイコー!(言っとけ言っとけ)
さあ、次は18県目、静岡県だ。意外に広くて時間がかかりそうだが、年越す前には何とかなるはずだ。
さようなら坂上みきさん。これで本当のお別れです。またどこかでその麗しいお声を聴かせてください。
さぁ、行くか〜!
【 静 岡 編 に つ づ く 前 に 下 に 続 く 】
【 夏休みのお知らせ 】
明日から静岡県と行きたいですが、その前にちょこっと夏休みを取ります。台風が23個も過ぎ去った
今日この頃に夏休みもクソもないですけど。関東あたりから「次に電源付き図書館見つけたら休み取ろう」
と思ってたモンで、俺の中じゃいちおう夏休みです。読者の皆さんからすれば200日以上も休ん
どいて眠たい事ぬかすなと思われるでしょう。まったくその通りです。
でもたまには「流人」以外の事もやりたいんです(T_T)
ホントはゲーム三昧の生活とかがしたいですね。同じ日本一周の旅をしていた藤崎さんが何かに憑かれた
かのように「ドラクエやりたい」と連呼してましたが、すごいわかります。ゲーム離れしまくってる今の俺なら
バンゲリングベイを血の涙が流れるまで休まずやり続ける自信があります。とは言えまず家が無いし、
パチンコやったりできる身分でもないので、図書館でちまちまパソコンいじってるんですけどね。電源付き
図書館の捜索が思いのほか難航するモンで、この機にやりたい事をやっとかないと、次いつ電源取れるか
わかんないんです(T_T)。ご勘弁ください。
えーと、実際の所で言うと、サイトの構成を整理したいのと、今までの見直し。流人+αと裏・流人の
記事の書き足し。他に歴史サイトを立ち上げたい事と、ゲームを2本完成させたい事。こんな事をやって
いきます。サイトはちょくちょく変更になってるかもしれません。URLの変更まではありませんので、その
点はご安心くださいませ。あと毎日PCを使えるので、掲示板は今までどおり動いていきます。企画への
申込等も従前どおり動いていきます。旅の休止であり、サイトの休止ではありません。
で、お休みする期間ですが、やりたい事のボリュームがあるので、チョット長めに11月10日まで
いただきます(足りねぇ・・・_| ̄|○)。
旅再開は11月11日となります。
どうか、ご了解ください。
あとお休み中でもたまに顔出していただければ嬉しいです。
つーことで、よろしくお願いします〜。 見捨てないでねオネガイ(T_T)